よぎること。考えること。

日々の頭のなか。

いつも何かを考えている

ちょっと前から瞑想が流行っている。マインドフルネスというやつ。

これのポイントは、「今現在の自身に意識を向けること・それに集中すること」だという。

そうすることで、頭を空っぽにする。思考をリセットして、精神をリフレッシュする。

 

これを知ったとき、たしかに普段の頭はフル回転している、と思った。

他人がどうかは知らない。でも、私の頭のなかはいつも何かが浮かんでは消えている。

感情、妄想、目に入るもの、予定、回想。

そして、それが巡るスピードは目まぐるしい。と、思う。

 

視界に入った何かを認識する。認識したことを自身に確認する。対象物に感想を持つ。

目の前のことから思考を切り離して、突拍子もないことを想像する。もしくは、過去を回想してその時の感情をなぞる。当時の判断の是非を考える。

本当に集中しているとき以外は、そうやって、何かに取り組んでいながらも、同時に別なことを考えてしまう。

考える、まで行かなくとも、何かしらのイメージが過ぎ去っていく。

時どき、そうした状態に脳みそが疲れているな、と感じる。

 

私の小さなころからの趣味は、本や漫画を読むことだった。

現在は、そこに映画を見ることとアーティストのPVを見ることが加わっている。

 

それらに共通するのは、別の世界観に飛び込んで、その世界を味わうことだけに集中できることだ。少なくとも、私にとっての読書や映像鑑賞は、そういったものだ。

味わっている瞬間は、余計なことを考えなくてすむ。

その場面設定を咀嚼して理解して、登場人物に感情移入して一緒に笑って悲しんで、目に映るものに直接つながることだけ考え、感じていられる。

そうやって、マインドフルネスのような「今この瞬間」に集中できるから、リフレッシュになる。

 

一時、キックボクシングやジムの筋トレも同じ理由でのめり込んでいた。

ただ、運動は同じ空間に一緒に取り組んでいる他人がいる。「他人に見られているかもしれない」ことが気になってしまい、集中しきれなかった。

他人には、自意識過剰、と思われるかもしれない。私のことを気にしていない人もいるとは思う。

でも、私自身は無意識のうちに、視界に入るものはなるべく認識しようとしている。そして、そこに何かしらの感想も抱く。

例えば、街中を歩いていても、カフェの横を通りすぎる瞬間に店内が視界に入れば「コーヒーカップだ。曲線がきれいでこのサイズは沢山飲めそう」とか。

駅の構内を歩きながら人とすれ違えば、「男性、若い、2ブロックヘアー、青いスーツ、ビジネスバッグ。センスは良いけど、バッグのハンドルがボロボロ。」とか。

みんながそうじゃないなんて言いきれない。だから、運動は取り組んでいる自分の姿に何かしらの感想を持たれているんじゃないか、と気になってしまう。

 

映画館で見る映画は、みんながスクリーンに集中している前提なので、大丈夫。

読書やPV鑑賞は、人がいる中でも取り組めるけれど、常に周囲も認識している。本当にリフレッシュできるのは、家など自分だけの空間で行うときだけだ。

 

こうやって書いていると、いつも何かを考えているから疲れるのか、他人の視線を意識してしまうから疲れるのか、どちらが問題なのかとも思うけど。

たまに何も処理しない時間(本当に処理していないかは置いておいて、処理していることを意識しない時間)を作らないと、疲れ果ててしまうなあと思った。

というより、瞑想や他の人の感覚について知って初めて「今までのは疲れていたんだな」「趣味でリフレッシュ出来ていたのはこれが理由だったんだな」と気づけるようになった。

 

これを書きながら今考えているのは、 他の人もこの状態なのかな、ということだ。

これが、単に集中力の無さから来る個人的な感覚なのか、みんなも感じていることなのかが気になる。

(そして同時に認識しているのは、オフィスの隣の島で書類をめくる音と、支店長の打ち合わせ電話の内容と、今喫煙所から戻ってきた上司が煙草臭を消すためにリセッシュを自分に降りかけていることである。)